神や仏の存在を信じなかった織田信長は唯物論的思考の持ち主だった!

投稿日:

神仏信仰ブームに乗っからなかった覇者・織田信長。

神様仏様も恐れなかった信長は、自らの部下に対して自らを神として崇めさせたそうです。信長が滋賀県に築いた安土城の敷地内には『総見寺』と呼ばれる寺院があり、信長は自らを"神"と位置付けて部下達に参拝させたそうです。これは神や仏を信じなかった信長の『神や仏、そんなものいない!そんなもの崇めている時間があるなら俺を神と思え!』という皮肉のような気がします。

 

信長の恐れ知らずの行動と!?

戦国時代、武将たちの間では神仏の存在が信じられていた。中には神仏の像や神号や仏号を兜の前立てに用いた者もおり、一説では有名な直江兼続の『愛』の兜も“愛染明王”、“愛宕権現”の信仰からきたものだといわれています。

だが、そんな中で天下統一を果たした織田信長は、神や仏の存在を信じなかったといわれています。

これはまだ信長が尾張の一大名だったときのこと。当時、裁判のひとつに『火起請(ひぎしょう)』という方法がありました。

これは、焼けた手斧を持って、それを神棚まで運べるかどうかでその是非を判断、最終的な善悪の判定を神に仰ぐというもの。あるとき、信長はその『火起請』の現場を通りかかった。すると彼は、その場で焼けた手斧を取り、手斧を持てるかどうかは神によるものではなく、その人の意志であるということ、裁判は神に仰ぐものではないと体を張って訴えたといいます。

 

フロイスも認めた“唯物論”的思考

唯物論とは、観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方です。対義語は“観念論”といい、精神の方が根源的で、物質は精神の働きから派生した考え方です。ポルトガルのカトリック司教、宣教師のルイス・フロイスは、信長を『神仏などの偶像を軽視し、占いは一切信じない』と評しています。また、信長は唯物論的思考の持ち主であり、僧侶などの仏教勢力には厳しい姿勢を見せていたのも事実です。

 

知っておきたい“日本史”

日本でキリスト教の布教活動をしたポルトガルのカトリック司教で宣教師のルイス・フロストによる歴史書。日本宣教の記録が主に記されているが、名将の動向はもちろん、当時の庶民の様子についても窺うことができる。

 

神や仏の存在を信じなかった織田信長は唯物論的思考の持ち主だった!でした。





-歴史
-,

Copyright© そこに山と金があるから , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER4.