明智光秀は信長を殺せないほど心酔していた?本能寺の変の真実とは!

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本能寺で主君・織田信長を討ちとった明智光秀。

その謀反の理由は何だったのでしょうか。

一番信ぴょう性があると言われていた怨念による裏切り説に異論が浮上!?

 

横暴な上司信長に振り回された

天下統一を目前にして織田信長は本能寺の変で誅殺された。この謀反を指揮したのが『敵は本能寺にあり』で有名な明智光秀である。しかしこの発言は創作といわれています。なぜか?聞いた人間がいないから笑。

光秀はその後、わずか11日で羽柴秀吉(後に豊臣秀吉)によって山崎の戦いにて討伐されます。光秀が謀反を起こした原因については、さまざまな説が唱えられていますが確かなことは分かっていません。個人的には井上慶雪著『秀吉の陰謀』の説が一歩抜き出ている気がしますが、その話は置いておいて、最も一般的な説は『信長に恨みを募らせた光秀がキレた』というもの。信長は天才にありがちなムラッ気の多い性格であり、家臣の光秀に対しても『頭を壁に打ち付けて笑いものにする』『宴席で酒の飲めない光秀に太刀を突き付けて飲酒を強要する』などイジメとしか言いようのない仕打ちを度々行っていたとされています。また、光秀の母親は信長のとった政策のために殺されています。これらの怨根が積み重なったことが原因だという説は江戸時代以降、創作などを通じて広く流布しました。

 

謀反の直前まで信長をリスペクトしていた

しかし光秀が信長を恨んでいたという説には異論も多いのも事実。たとえば本能寺の変の前年には光秀は『信長様に感謝し、一族末代までご奉仕するように』という内容の文章を『明智家法』(あけちかほう)に記しています。また本能寺の変のわずか3カ月前には、茶会で床の間に信長の書を飾っていたともいわれています。光秀は稀代の天才主君・織田信長にかなり心酔していたようです。

それではなぜ光秀は信長を誅殺したのか。

もちろん戦国の世を生きる武将として、自身が天下人になることへの野心もあったでしょう。しかし今日では、光秀の単独行動ではなく、彼の背後に黒幕がいたのではないかという説が有力となっていきています。

 

本能寺の変の黒幕は誰だ

黒幕としてまず考えられるのが、天皇・公家を中心とする『朝廷』

光秀は独自に朝廷との太いパイプを持っており、朝廷は信長の不遜な態度に危機感を抱いていた。朝廷が光秀に秘密裏に信長の討伐を命じた可能性は高い。

また、実は秀吉が裏で糸を引いていたのではないかという説もあります。前後の行動などを見るに、どうやら秀吉は本能寺の変を事前に知っていたようなフシがあり、この編をきっかけに天下人になった秀吉は、結果的に最も得をした人物だからである。知略に長けた武将だったという光秀も、さまざまな思惑の渦巻く権力争いに振り回された結果『三日天下の謀反人』として歴史に名を残すことになった。というのが真相なのでしょうか・・・

 

明智光秀の言葉

『敵は本能寺にあり』

光秀は毛利の元へ向かう途中、急遽道を変えてこの言葉を放ったといいます。しかし、当時の記録にはこのような言葉を言ったという記述はなく、後世の創作とする説が有力です。

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