阿部忠秋 31年老中を務めた家光の6人衆の1人。

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隅田川洪水ノ阿部忠秋名誉之図

阿部 忠秋(あべ ただあき)

生誕:慶長7年7月19日(1602年9月4日)

死没:延宝3年5月3日(1675年6月25日)

9歳で家光の小姓となり、家光が将軍となると6人衆として登用された。家光・家綱の2代31年にわたって老中を務めた。情に厚く誠実な人柄だったといわれている。幕政批判を行い改易された佐倉城主・堀田正信(正盛りの長男)らが、上申書をすべて忠秋に提出するなど、人望も厚かった。

忠秋は「細川頼之以来の執権」と評価され、責任感が強く、また、捨て子を何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げた。子供の遊ぶ様子を見るのが、忠秋の楽しみであったという聖人。

延宝3年(1676年)に死去した。





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