林羅山 初代家康から4代家綱まで活躍したお抱え学者。

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林羅山(はやし らざん)

生誕:天正11年(1583年)

死没:明暦3年1月23日(1657年3月7日)

通称:又三郎。

羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。

字は子信。

出家した後の号、道春(どうしゅん)。

儒学者(じゅがくしゃ)。

幼少より書物に親しみ、秀才と呼ばれた。13歳のときに学問で身を立てようと京都の建仁寺(けんにんじ)で修行する。僧になることはせず、塾を開くなどしたのち、朱子学者(しゅしがくしゃ)の藤原惺窩(ふじわらせいか)に弟子入りした。その後、惺窩の勧めもあって、家康に召し抱えられる。その英明さから抜擢され、やがて家康のブレーンとなる。学問の講義や法度の起草などにあたり、4代将軍・家綱までお抱え学者として活躍した。朱子学の発展や儒学の官学化にも貢献する。しかし、明暦の大火によって、読みかけの本1冊だけをもって上野方面に逃げたが、神田の本邸にあった文庫を消失。ひどく落胆して病気となり、その4日後に没した。享年75歳。

林羅山 初代家康から4代家綱まで活躍したお抱え学者でした。





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