大岡忠光 9代将軍・家重の無二の寵臣、側用人。

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大岡忠光(おおおか ただみつ)

生:宝永6年(1709年)
正徳2年3月7日(1712年4月12日)とも

没:宝暦10年4月26日(1760年6月9日)

通称・兵庫、主膳。忠利の子。

出雲守。

 

大岡忠相とは同族だが、忠光の生家は代々300石の小身(しょうしん)の旗本だった。

享保9年(1724)に14歳で8代将軍・吉宗に拝謁(はいえつ)し、家重の小姓に召し出され、以後生涯その側に仕えた。

延享2年(1745)に吉宗の隠退により、家重に従い本丸入りし、小姓組番頭格となり、ついで翌年には側衆(そばしゅう)に昇進し、御用取次(ごようとりつぎ)となった。

宝暦元年(1751)、度重なる加増で1万石となり、上総国勝浦を領した。

同4年に若年寄、同6年には側用人となり、加増により武蔵国岩槻2万石を領す。

病弱で正常な言語機能を欠いていたという家重の言葉や心情を、忠光ただ1人が理解出来たという。特殊事情による異例の出世でした。

1760年(宝暦10年)4月26日、死去。享年48歳。

忠光の死後、最大の良き理解者を失った家重は、将軍職を世子・家治に譲り、大御所となった。

大岡忠光 9代将軍・家重の無二の寵臣、側用人。でした。





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