本多正信 佐渡の腰抜けと冷笑された家康の知恵袋。

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本多正信 佐渡の腰抜けと冷笑された家康の知恵袋。

本多正信(ほんだ まさのぶ)

生:天文7年(1538年)

没:元和2年6月7日(1616年7月20日)

通称:正行、本多佐渡。

佐渡守。

 

幼少から家康に仕え、鷹匠(たかじょう)という身分だった。家康が岡崎城主の時におこった一向一揆では、一揆方の参謀として戦いに参加し、追放される。

家康にとりなして、正信を帰参させてくれたのが大久保忠世(おおくぼただよ)です。

帰り新参の正信は、元亀元年(1570)姉川合戦で一手柄を立てようと勇躍出撃しましたが、危うく捕虜になりかけたところを助けられるという失態を犯し、後年、佐渡守に任ぜられてからも『佐渡の腰抜け』や『腰抜け佐渡』と陰口され、冷笑されたそうです。

家康は正信を出撃組から外して、おのれの側に控えさせました。家康は政略・行政などの非軍事面での優れた才能を正信に見出したからと思われますが、正信が世に出るまでには長い歳月を要しました。

その後、関東総奉行として江戸の町づくりに尽力し、朝4時には必ず現場に行き、監督を怠らなかったといわれている。内政から軍事まで辣腕(らつわん)をふるい、家康側近のトップとして名を馳せる。

元和2年(1616年)4月、家康が死去すると家督を嫡男の正純に譲り隠居して一切の政務から離れ、6月7日に死去。

享年79歳。

本多正信 佐渡の腰抜けと冷笑された家康の知恵袋。でした。



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