酒井忠清 『左様せい様』将軍・家綱の信任を得た【下馬将軍】

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酒井忠清(さかい ただきよ)

生:寛永元年10月19日(1624年11月29日)

没:天和元年5月19日(1681年7月4日)

通称・熊之助、与四郎。忠行の子。

祖父は家康の時代から仕え、秀忠・家光時代の老中・忠世(ただよ)。

河内守・雅歌頭(うたのかみ)。

 

寛永14年(1637)に家督を継いで上野国厩橋(こうずけくにうまやばし)10万石を領した。

承応2年(1653)に29歳の若さで老中になり、ついで大老に進む。

幼少の上に病弱であった4代将軍・家綱を補佐した。

幕閣の実力者が相次いで去ると、実権を掌握して門閥大老政治を現出する。

また、いわゆる文治政治を推進した中心人物の1人であった。

明暦の大火後、屋敷を大手門下馬札の前に与えられ、その権勢の強さから皮肉を込め【下馬将軍】と称せられた。

家綱の後嗣問題では、有栖川宮幸仁親王(ありすがわのみやゆきひとしんのう)を擁立しようとしたが、堀田正俊(ほったまさとし)らに反対され失敗。

綱吉が将軍になった延宝8年(1680)に大老の職を解かれた。

翌天和元年(1681年)2月27日に隠居し、5月19日に死去。享年58歳(満56歳没)。

酒井忠清 家綱の信任を得た【下馬将軍】でした。





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