佐倉惣五郎騒動 4代将軍・家綱に命がけで直訴した義民。

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佐倉惣五郎騒動 4代将軍・家綱に命がけで直訴した義民。

江戸時代、百姓一揆は確認されているものだけでも3000件以上にのぼる。特に飢饉のときは急増した。

多くの農民が飢餓(きが)という、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされ、続々と立ち上がった。

そんな中、死を覚悟して単身で領主や代官のもとへ行き、年貢の減免などを訴えた人たちもいた。

彼らは死刑などの厳しい処罰を受けたが、農民たちはこのような勇気ある人々を義民(ぎみん)と讃え、尊敬し続けた。

その1人、佐倉惣五郎(さくらそうごろう)は、下総佐倉藩領(しもそうさくらはんりょう・千葉県)の公津村(こうつむら)の名主であった。

あるとき、佐倉藩の領主・堀田氏が年貢を増やし、さらに新しい名目で税を取ることを決定した。

そこで、各村の代表者が藩の役人に、農民の悲惨な現状を訴え、増税の廃止を要求したが、全く聞き入れてもらえなかった。さらに、江戸に出て藩邸にも訴えたが、同じように拒否された。

このため農民の代表者は、老中が籠に乗って道を通るのを待ち受け、訴えようとした。しかしこれもお供の武士たちに遮られ失敗に終わる。

そこでついに惣五郎は、たった1人で4代将軍・家綱に訴えることを決意する。

上野の寛永寺に参拝する将軍を待ち受け、橋の下から飛び出し、竹竿の先に結び付けた願い書を差し出したのである。

佐倉惣五郎騒動 4代将軍・家綱に命がけで直訴した義民。

これを読んだ将軍の命令により、年貢はもとの額に戻され、新税は取りやめとなった。村々の農民たちは大喜びし、歌い踊ったという。

しかし、当時は将軍への直訴は禁じられており、惣五郎夫妻は磔(はりつけ)となり、男子4人も死罪となった。

佐倉惣五郎騒動 4代将軍・家綱に命がけで直訴した義民。

やがて義民惣五郎の話は、歌舞伎や絵草子(えぞうし)などになった。

全国各地には、このような義民の話が多く伝えられ、いまも英雄として祀られている。

 

佐倉惣五郎騒動 4代将軍・家綱に命がけで訴えた漢。でした。



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