堀田正盛 家光に重用された春日局の縁者。

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堀田正盛(ほったまさもり)

堀田正盛(ほったまさもり)

生:慶長13年12月11日(1609年1月16日)

没:慶安4年4月20日(1651年6月8日)

通称・三四郎。父は正吉。

出羽守(でわのかみ)・加賀守(かがのかみ)。

 

母は春日局の夫・稲葉正成と先妻との間に生まれた娘であったため、元和6年(1620)より将軍・秀忠の子・家光に仕える。

同9年に相模に500石、寛永2年(1625)に常陸(ひたち)などに加増され5000石、翌3年には小姓組番頭(こしょうぐみばんがしら)に進み、加増されて1万石の大名となった。

同10年には阿部忠秋(あべただあき)、三浦正次(みうらまさつぐ)、太田資宗(おおたすけむね)、阿部重次(あべしげつぐ)、松平信綱(まつだいらのぶつな)らとともに6人衆(のちの若年寄)の1人となり、間もなく老中に任じられた。

同12年、武蔵国川川越3万5000石を領し、ついで信濃国松本10万石、さらに同19年には下総国佐倉(しもうさくにさくら)11万石に転じた。春日局の縁者であり、家光の信任も厚く、寛永期の幕政の中枢に位置した。

老中退任後も評定所に赴き、大事政務の折には幕政に参与することを命ぜられた。家光の死去にともない、慶安4年(1651年)4月20日に阿部重次と共に殉死した。享年44歳。

温厚な性格で、学問を好み和歌にも優れた作品を残しました。





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