松平信綱 家光・家綱を補佐した【知恵伊豆】と呼ばれた男。

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松平信綱 家光・家綱を補佐した【知恵伊豆】と呼ばれた男。

松平信綱(まつだいら のぶつな)

生:慶長元年10月30日(1596年12月19日)

没:寛文2年3月16日(1662年5月4日)

通称・長四郎。初名・正永。

大河内久綱(おおこうちひさつな)の子。

 

慶長6年(1601)叔父である松平正綱の養嗣子となる。

同9年、5歳にして家光に付属させられ、元和9年(1623)に小姓組番頭(こしょうぐみばんがしら)となり、家光の将軍宣下に際し、従五位下伊豆守(じゅうごいのげいずのかみ)に任ぜられた。

寛永元年に2000石となり、同4年には1万石の大名になった。同10年、阿部忠秋(あべただあき)、堀田正盛(ほったまさもり)、三浦正次(みうらまさつぐ)、太田資宗(おおたすけむね)、阿部重次(あべしげつぐ)らと【6人衆(のちの若年寄)】となり、間もなく老中になり、武蔵国忍3万石を領した。

同年14年、島原の乱に出兵、乱鎮圧の功績により武蔵国川越6万石を賜る。

幼少の頃より才智に富み、【知恵伊豆】として名高く、家光の信任も絶大であった。家光没後は家綱を補佐し、由井正雪(ゆいしょうせつ)の乱(慶安の変)、明暦の大火などの処理に敏腕を振い、幕政の確立に貢献した。

柳生宗矩、春日局と共に家光を支えた【鼎の脚】の1人に数えられた。

享年67歳。

松平信綱 家光・家綱を補佐した【知恵伊豆】と呼ばれた男。でした。

 



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