酒井忠世 2代将軍・秀忠時代の外交担当老中。

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酒井忠世 2代将軍・秀忠時代の外交担当老中。

酒井忠世(さかい ただよ)

生:元亀3年6月5日(1572年7月14日)

没:寛永13年3月19日(1636年4月24日)

通称万千代・与四郎。

右兵衛大夫(うひょうえだいぶ)のち雅楽頭(うたのかみ)。

重忠の子。

 

はじめ家康に仕え、関東入部後、武蔵国川越に5000石を賜る。

その後、秀忠付となり、家老職を命ぜられた。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは、秀忠に従い上田城攻略に加わり、翌年上野(こうずけ)国に移封されて1万石の大名となった。

大坂冬・夏の陣でも秀忠の参謀として活躍。家康の死後は、土井利勝(どいとしかつ)とともに秀忠時代の幕閣の中心となり、主に対朝廷対策と外交問題を担当し、政治手腕を発揮した。

この間、度々加増を受け、元和8年(1622)には上野国厩橋(うまやばし)12万2500石に達している。

同9年、三代将軍・家光の傅役(もりやく)を命ぜられて将軍教育にあたったが、厳正で重厚な武功派的性格が災いして、家光に退けられる不運にあった。

死の直前、大老となる。享年65歳。

酒井忠世 2代将軍・秀忠時代の外交担当老中。でした。





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