徳川家の系譜。祖先は源氏?それとも新田氏?

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関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は、1603年、征夷大将軍に任じられた。征夷大将軍という職は、源頼朝以降、武家政権の長を意味しました。

ただ、実力があったとしても、誰でも将軍になれるわけではなく、その祖が源氏でなければならないという暗黙の慣例が存在した。そのため、源姓でなかった豊臣秀吉は征夷大将軍になれず、朝廷の最高職たる関白になることで政権を樹立しました。これに対し家康は、源姓の家系だから将軍になれたといわれています。

 

しかし、家康が源姓を称するようになったのは幕府を開く数年前からで、家康は朝廷に自分は源氏の棟梁であった新田氏の末裔であるという自家の系図を提出し、藤原氏から源氏への改姓を願い出て許可された。それまでは藤原氏を名乗っていたようです。

 

そもそも徳川の始祖は、清和源氏の嫡流である新田義重の4男・得川(世良田)義季とされています。同族の新田義貞は、鎌倉末期に幕府を倒し、建武の新政で活躍したことで有名です。義季の子孫は次第に落ちぶれ、徳阿弥の代では諸国を放浪する身となるが、運よく三河の土豪の婿養子に入り、松平氏を称しました。

 

実在が確認できるのは、その孫の信光からです。その後、家康の祖父である清康が新田氏の末裔だと自称するようになりました。先祖代々、自分たちは徳川氏だという伝承があったのは確かなようです。このようなことから、家康は源氏を称するに至ったわけです。

 

実際のところ、家康直系の先祖は、実在していたとされる松平信光の嫡流ではなく分流らしいが、徳川の系図は、家康の系統が嫡流だったように改変さえています。家康は偽の系図を作成し、朝廷に提出して、源氏の子孫であるように装い、将軍の地位を得たのでした。

 

家系図が現代ほど正確に分からなかった時代、家系図の改変は容易だったようです。

 

徳川家康の系譜

新田義重 清和源氏の嫡流
得川(世良田)義季 義重の4男。徳川家の始祖。
徳阿弥(親氏) 諸国を放浪後、三河国の土豪・松平太郎左衛門に婿養子入り。
松平泰親 親氏の息子とも弟ともされる。
信光 賀茂氏を名乗る。実在説が有力。
親忠 西三河を統一。
長親 北条早雲を撃退。
信忠 暴君だったので一族・家臣が離反。
清康 13代で家督を継ぎ、20代で三河を統一。新田氏の末裔と称した。
広忠 三河国を追われ亡命。今川義元に帰順。
徳川家康 征夷大将軍に。

 

徳川家の系譜。祖先は源氏?それとも新田氏?でした。





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