大奥は無駄遣いの天国だった。そして8代将軍・吉宗の大リストラを食らう!

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大奥の超絶無駄遣いに吉宗がリストラを決行する。

無駄遣い天国だった大奥。

女中たちのお給料も桁違いで、

大奥のお給料は御台所で約6~10億円。

御年寄は約2000万円ほどあり、内訳は、金60両、米50石、1月60俵と薪30束が支給。夏には風呂代。5月と10月に2度の御給金御合力という賞与。さらに毎年1度づつ、将軍と御台所から黄金3枚つまり大判。更に町屋敷ももらっていて、町屋敷の地代が年々上昇することにより、たいへんな地代収入もあったそうです。

御中臈は約1000万円。

御次は約800万円。

呉服之間は600万円。これは普通の侍よりも上でした。

とお目見以上の女中はかなりのお給料をもらっていました。

お目見以の御末でも約100万円。仕事もキツイしおしゃれすることもままならなかったのですが、町屋の住み込み女中の倍であり、衣食住は保証されていたので恵まれていたのですから。それでも町屋敷の女中の2倍以上のお給料だったようです。

中堅女中クラス異常はは勤続30年以上だと、切米か合力金のどちらか多い方を一生与えられ、一生の暮らしを保証されていました。

この江戸時代の換算計算は、正直難しいです。時代によって1両の値段も変わるし、年代によって給料も変わります。あくまで目安としてご覧ください。まあ、普通よりも高いということは分かっていただけると思います。

という話です。

大奥の女中たちは、

大奥の1年の経費は1両10万円で換算すると、

13代将軍・家定の時代、約20万両(約200億円)。

15代将軍・慶喜の時代で約25万両(約250億円)。

慶喜は経費削減を訴え、これを17万両(約170億円)まで切り詰めることに成功したが、焼け石に水だった。

将軍の正妻である御台所は、なんと1日に5回も衣装を着替えたそうです。

御台所の5回の着替え

御台所の1日5回の着替え

8時(朝五ツ)朝御召し。
9時(朝五ツ半)総触御召し。
13時(昼九ツ半)昼御召し。
19時(暮六ツ半)夕御召し。
21時(夜五ツ半)御寝御召し。

衣装には季節・儀式ごとに細かい決まりがあり、総触御召し、昼御召しのときは毎日違う衣装を着ることと定められていたため、衣装代だけでも莫大な経費がかかっていました。超絶無駄遣いですね。

8代将軍・吉宗の大奥大リストラ

8代将軍になった吉宗がまず行なったのが、元禄の繁栄のあとを襲ったバブル崩壊により財政難となった幕府の立て直しでした。

享保の改革が有名ですが、それと同時に莫大な経費を使っていた大奥の引き締めにも乗り出しました。吉宗時代の幕府収入は、金収入79万両、米収入85万石の約180万両(約1800億円)の収入があったようですが、その25%(約450億円)が大奥の経費だったようです。

ある日、吉宗は大奥に対し『美人で気立てのよい25歳以下のものを選び出してまいれ』と指示を出しました。

当時の吉宗は33歳で独身。大奥の女中たちは『側室選び』と色めき、喜び、大騒ぎしました。

そして厳選された美女50人が選ばれました。

そして吉宗は『今日限り、そのほうたちに暇をつかわす』と告げます。

女中たちは呆気にとられます。美人が集められた理由は、吉宗の嫁選びではなく、リストラ候補選びだったからです。

美人が選ばれた理由は『美人なら大奥を出ても良縁が多いはず。ただ、美人でない者はなかなか嫁の貰い手がないので大奥に置いておく』だそうです。

美人という理由でリストラされた女中も、選ばれず残った女中も、嬉しいやら悲しいやら、何とも言えない気分に包まれていたはずです。

吉宗の将軍時代の大奥の人数は400人ほどだとされています。このうちの50人がリストラされたわけですが、大奥の女中は階級により給料が雲泥の差がありました。幾らの経費削減になったのかはわかりませんが、鞭であるリストラだけではなく、自分を将軍に推してくれた天英院に敬意を払い、年間1万2000両もの報酬を与え、更に天英院と対立していた月光院に対しても優遇を忘れず、居所として吹上御殿を建設、更に年間1万両の報酬を与えるなどして、口煩い大奥を巧みに扱い、飴も与えて新将軍の人気をとりつけることを忘れませんでした。

ちなみに大奥の人数は11代将軍・家斉380人。14代将軍・家茂375人。でした。

大奥は無駄遣いの天国だった。そして吉宗の大リストラを食らう!



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