徳川8代将軍・吉宗が設置した目安箱の目的と成果は?

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享保6年(1722)、吉宗は紀州藩主時代に試みた訴訟箱にならって【目安箱】を勘定所の前に設置し、世間一般から政治に対する自由な批判意見を投稿させました。

毎月3回、将軍自ら箱の鍵を開け、投書を閲読しました。その後、京都・大坂・駿府・甲府などにも置かれたそうです。

山下幸内(やましたこうない)という浪人が、これに投書して、吉宗の政治が紀州時代の気質が抜けていないと厳しく批判したが、吉宗はその態度をかえって賞賛し、役人たちにその投書を見せたといいます。

これ、下手したら極刑を受けていたかもしれませんよね。

同様に町医の小川笙船(おがわしょうせん)の『貧民でも行ける病院を造ってほしい!』という投書を読み、大岡忠相に命じて、貧民対策のために診察費無料、衣食住もついた病院、小石川養生所(貧窮医療施設)が設立されました。江戸市中の防火制度の設備などにも反映。

諸役人の監視目的もあったようで、これがテレビ『暴れん坊将軍』の悪代官を『成敗!』の元になったのでしょうか!知らんけど笑。

22歳で紀州藩主になり、33歳で8代将軍になるまで、赤字だった紀州藩の財政を立てなおした吉宗らしいアイデアですね。温室育ちの町民と触れ合うことのない将軍には思い浮かばないアイデアだと思います。この目安箱への投書は、氏名と住所の記入が必要だったそうで、記入がない場合は無効だったようです。将軍に名前と住所を知られた上で意見する。これ、かなりの覚悟が必要ですよね。

8代将軍・吉宗が設置した目安箱の目的と成果。でした。





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