歴代将軍は大奥というハーレムでどんな性生活をしていの?やり放題だったの?

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大奥での歴代将軍の性生活は

徳川歴代将軍の為に存在した大奥。

それは将軍の為だけに存在したハーレムでもありました。もちろん欲望の為だけに作られた場所ではなく、お世継ぎをの残すために作られた大事な場所でもありました。

男としては大変羨ましい場所でもあります。

では将軍はどんな相手と夜の生活をしていたのか、決まり事などを徹底的に紹介したいと思います!

 

将軍の相手は30歳で御床御免になる

将軍の夜の相手をするのは30歳までということです。30歳になるといやでも“御褥御免(おしとねごめん)”といって夜の相手を辞退しなければいけなかったようです。

これは将軍の性癖などではなく、一種の避妊対策としてでした。身体も頑健ではなかったので、30すぎてからの御懐妊(妊娠)があったりすると、当時の医学では出産による身体への影響が心配されたためであります。

そして、正夫人の多くは、京都の皇族、上級公家から迎えるのが習慣でした。しかしこれはあくまで政治的なもので、本心は公家の力が幕府に及んでほしくないのが本音でした。そのため、お世嗣を産まぬように散薬(一種の避妊薬)を飲ませるなど様々な手段を用いたようです。もし、辞退しないで“御用”をつとめようものなら、皆から“好女(すけべえ)”や“湿深(しつぶか)”とさんざんに蔑まれ、陰湿な【いじめ】にあったそうです。

 

お妾候補が常備されていた

将軍の御添寝ができるのは、奥女中のなかでも高級職員の中臈に限られていました。中臈の多くは旗本の娘で、将軍のお目にとまることは家門の名誉でもあったので、いつもそれを待っていたようです。

 

将軍の妾選び【お庭御目見】

将軍に側女をすすめるときは、候補者に庭を歩かせて将軍が障子の蔭から見る。気に入れば『夜のものを取らせよ』といい、気に入らなければ何の音沙汰もない。夜のものとは夜具のことであり、同衾を意味する。ようするに将軍の夜のお相手をするということである。

 

将軍に気に入られた御中臈の【御付替え】

将軍が御台所付きの御中臈を気にいった場合、あらかじめ一定の手続きを経なければいけなかった。御年寄を通じて御台所に願い出て許しをもらい、その御中臈を将軍付きにしました。これを【御付替え】といい、御台所から将軍に献上する形をとりました。お褥御用(おしとねごよう)となった御中臈は、まず入浴して身体を清めたあと、念入りに化粧をすませ、将軍が到着する約半刻(1時間前)に長局向の自分の部屋をでる。衣服は、上着は白倫子の寝巻き、下着は白羽二重(下着はつけなかったとも)で、髪は梳(す)かして櫛巻にし、簪(かんざし)は差さない。寝床となる御小座敷へとつづく長廊下を、御用の御中臈は、先導とお供の7,8人を従えて先に歩き、一間ほど遅れて、御添寝の御中臈(御手付)が歩いていく。

一行が御小座敷へ着くと、御年寄たちが床入りの準備をする。御中臈の髪をほどき、刃物、針、薬物、怪文書などを隠していないかを調べ、次に帯をほどき、衣服の中も調べる。それが済むと、御三の間で髪を結い直し、一同はふたたび御小座敷で将軍のお成りを待ちました。

 

将軍の寝床には2人の監視役がいた。

将軍と御中臈の寝床となる御小座敷。上段の間には、4つの床が東枕にのべられている。左から御添寝の御中臈、少し離して将軍、御用の御中臈(性行為の相手)、また少し離して御坊主の床である。そして次の間には、御年寄ともう一人の“お清”の御中臈が控えている。夜明けまで“不寝番”をするためである。将軍は自分が選んだ女(御中臈など)の他に、同じ寝床にもう2人、監視役がいたということです。御添寝の御中臈と御坊主は、それぞれ将軍と御用の御中臈に背を向けて伏せる。目を開けて見てはいけないが、眠ってもいけない。一晩中、ひたすら無言で将軍とお相手の性行為や睦言を聞き洩らさないように聞き耳をたてている。

翌朝、御年寄に昨夜の様子を『昨夜は格別のおうちとけにて、しかじかのお戯れもあり……』と詳細かつ具体的に報告しなければならない。御用を務めた御中臈も、寝床の中での将軍との会話を事細かく報告しなければならない。御年寄は御添寝の御女臈、御坊主、御用の御女臈の3人の申し立てが寸分たがわず一致するまで何度も問いただした。

この異様ともいえる監視、警戒の制度には、後にお世嗣(およつぐ)を決めるときの証拠を得ておくためと、寝床においての愛妾、側室が物ねだりや、無理なお願いをする“床ねだり”を未然に防ぐためであった。

5代目将軍綱吉の時代、宝永2年(1705)4月18日、家臣・柳沢吉保が愛妾・染子を献上した時、寝床で『吉保の子である吉里に甲斐国100万石を与える』というお墨付きを書いて渡したことがあった。この染子の“床ねだり”によって、柳沢の100万石の夢は正就するかにみえたが、宝永6年正月9日の綱吉の急逝によりお墨付きは効力を失った。この事件以来、愛妾、側室との房事(ぼうじ)における御添寝の決まりが作られたといいます。この人権無視の御添寝は長く励行されました。

 

大奥で一番女中に手を出した将軍。

大奥というハーレムを最大限に活用し、自らの欲望のはけ口とした将軍は、11代将軍・家斉です。家斉は15歳で将軍になり、将軍在任記(1787~1837)の50年(歴代将軍最長)の間に、手を付けた側妾は40人にもおよび、そのうち17人の腹から男28人、女27人の、合わせて55人の子供を産ませている。もちろん歴代記録です。これらの子供は外様や譜代大名へ押しつけられ、養子や夫人として下げ渡されました。

 

将軍はいかなる場合でも1人になることは絶対に無かったといいます。それはトイレでも、風呂でも、夜の行為中でも。

監視の付いた性生活ってのはいかがなものなのでしょうか。

歴代将軍たちは逆に興奮したのでしょうか。

真実は、

分かりません笑。

歴代将軍は大奥というハーレムでどんな性生活をしていの?でした。





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