大奥にも階級があった。職制と階級とお給料事情は?

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将軍の正室である『御台所』を筆頭に、上臈、御年寄、御中臈などの御目見以上(将軍・御台所に謁見できる)から、御末、御犬子供などの御目見以下(謁見できない)などの下級女中など、数多くの女性たちが大奥という縦社会の中で生活していました。職制について詳しく紹介していきましょう!

御目見以上(将軍・御台所に謁見可能)

上﨟(上臈御年寄)

御台所の相談役・側近。地位は大奥最高でしたが実権はありませんでした。京都から将軍家に嫁した御台所に同行した公家の娘が多かったようです。常盤井、三室、岩橋、飛鳥井というような、いかにも公家の出身らしい名前が多かったようです。

 

小上﨟

上﨟の見習い

 

御年寄(老女・局)

春日局(かすがのつぼね)が有名ですが、彼女職はこの御年寄に分類されます。

『表』の老中に匹敵するほどの要職で、大奥の万事をとりしきる大奥髄一の権力者。御年寄は10万石の格式で、表の老中に匹敵した。よって途中で出会った旗本は平伏してこれを迎えた。

年寄の給料は、金60両(約600万円)、10人扶持で、扶持は室で使っている女中の数だけ支給された。そして御蔵米50石(約500万円)、1月60俵と薪30束が支給された。夏には別に風呂代が加わった。5月と10月には、2度の御給金御合力という賞与がついた。さらに毎年1度づつ、将軍と御台所から黄金3枚つまり大判を賜っていた。そのうえ、町屋敷ももらっていて、町屋敷の地代が年々上昇することにより、たいへんな地代収入を手にすることができたというから、へたな旗本では及びつかない収入であった。御年寄は御中臈と違ってお手付もなく、当然、御褥下がり(おしとねさがり)もなく、長期間にわたって大奥に勤めることができた。だから春日局も大変な収入を得ていたようで、彼女の子供は大名に出世しています。3代将軍・家光の乳母をしていた春日局(当時はお福)のお陰で、家光は将軍になれた。という話が有名です。

 

中年寄

御台所・御廉中・姫君にのみ付く役で、御年寄の補佐をした。

 

御客会釈

将軍が大奥へお成りの際、または御三家・御三卿の登城・参内のときの接待役。

 

御中臈

将軍付きと御台所付きがいて、その身辺の世話をした。将軍の愛妾や側室はこの御中臈の中から選ばれるのが原則でした。

高級旗本の娘が、御小性を経てなるのが建前でしたが、将軍の目にとまって御寵愛を受けた場合は、直ちに立身して御中臈となった。これを“御手付(おてつき)”といい、その他の御中臈を“お清(の者)”といった。将軍の寵愛を受けた中臈を“よごれたお方”という奥女中たちの羨望と嫉妬の念の入り混じった、陰湿な呼び名でも呼ばれたようです。

この“御手付中臈”が、将軍の子女を生んで、“お腹さま”になると、別に立派な部屋が与えられた。これを“お部屋さま”といいます。13代将軍・家定の頃には、5つ間ほどの部屋をもらい、年に米300表、金子500両、その他が下賜されたそうです。

御年寄たちは、目の色を変えて自分の部屋の御中臈を推薦したようです。将軍のお手が付き、めでたく男子を出生ともなれば、ゆくゆくは将軍御生母の世話親として、大奥に権勢を張れるかもしれないからです。

御中臈の給料は、金40両(約400万)で6人扶持、御蔵米40石(約400万)、さらに年末賞与があって御褒美金10両が支給された。年に2両あれば、1家族が暮らせたという時代であるから、かなりの高給取りだったことがうかがえます。

この御中臈は、上臈と御年寄が集まって、美人で教養があって人柄の良い女性を選んだようです。

 

御坊主

女性でありながら頭を丸め、男の着物を着ていたのがこの御坊主です。50歳前後で、御台所と将軍の連絡役を務めました。

 

御小性

高級旗本の娘が、幼少から御台所の側に仕え、煙草から手水の世話をする。16、7歳になると御中臈になった。

 

表使

大奥の表役所ともいうべき御広敷に詰め、役人(男性)と折衝する。いわば外交官。とくに才智の優れた者が選ばれました。

 

御次

仏間、台所、御膳などを調える担当で、遊芸に秀で、大奥での催しのときに、それを披露した。

 

御右筆

日記や手紙などの文章を担当した。

 

御錠口

その名のとおり、御錠口を監視する役。

 

御切手

七つ口を出入りする者に切手(通行証)を渡す役。御用達商人の出入りをチェックした。

 

呉服の間

将軍や御台所の衣服の裁縫を担当した。呉服の間では、針仕事をする前に、必ず針の本数を確認をし、針仕事が終了したあと再度針の本数の確認します。もし、縫い針1本でも紛失するとさあ大変。万が一、将軍や御台所などが針が付いたままの着物を着て、針が身体に入ってしまったら一大事。針が見つかるまで探したといいます。時には庭の砂利まで掻き分けて探したそうです。

 

 

御目見以下(将軍・御台所に謁見不可)

御三の間

掃除・湯水の運搬を担当。

 

御仲居

配膳担当

 

御火の番

火の元の見張り担当

 

御使番

代参のお供や使い走り

 

御末

御端下(おはした)ともいい、風呂・台所の水汲みや力仕事を担当。

 

御犬子供

雑用を担当。

 

と細かい役割分担があったようです。

大勢の奥女中たちが奉公する大奥内で、だれがどのような身分にあるのかが一目でわかるものがありました。それは“衣装”と“髪型”でした。身分・格式によって、季節によって、あるいは式日と平日によって、その違いが細部にわたって定められていたそうです。

ある資料によると、御目見以上の上級女中で上﨟(3人)、御年寄(7人)、中年寄(2人)、御中臈(8人)、御目見以下の下級女中で御使番(13人)、御末(50人)、御犬子供(120人)で、店員が200人ほどだったようです。

正夫人である御台所にも同数程度の女中がついていた。御目見以上の女中は、多いもので3、4人の女中を使っていたそうなので、総勢800人近い女性が大奥にはひしめき合っていたそうです。

 

大奥で出世するための条件

大奥では、出世の条件を

一引、二運、三器量

といったそうです。

有力な御年寄や御客会釈の後押しがなければ、出世のチャンスに恵まれないというわけで、ここにドロドロした大奥特有の激しい派閥抗争、権力争いが燃えさかる要因がありました。そして大奥には、プライドばかりが高いわがままな旗本の娘である御目見以上の上級女中が、町家出の御目見以下の下級女中を召し使って運営されていました。というかコキ使っていたという表現の方が正しいでしょう。

しかし、長局向の雑居部屋に入れられていた十把一束(じっぱひとからげ)の御目見以下の下っ端女中たちには、“宿下がり”もあったし、その際に良い縁談が持ち込まれることもあった。御目見以上の上級女中であっても、将軍に気に入られなければ何も起こることもなく飼い殺しに等しい状況だった。はたしてどちらが女性として幸福であったかは、一概にはいえないところであります。

大奥にも階級がある。職制と階級とお給料は?でした。

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