前田慶次 天下御免の傾奇者・大ふへん者の正体は?実在した?

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前田慶次。年齢不詳。生没年不詳。文武両道でいたずら好き。戦国時代の武将で、熱湯風呂・鼻毛騒動など、数多くの珍逸話を残した異端児です。

前田慶次は、天下御免の傾奇者として一般に知られています。傾奇者とは逸脱した行為を好み、奇矯で目立つ振る舞いをした、制度に縛られない“粋の良さ”を貫いた伊達者のことをいいます。

常人の倍はある身の丈と、同じく並みの馬の倍はあろうかという名馬・松風を有し、手には皆朱の大槍。目を引く奇抜な装束に身を包み、そして特大の煙管。背には『大ふへん者』の旗。

漫画『花の慶次』や原作の小説『一夢庵風流記』で描かれている前田慶次の姿です。両作が世に出て以来、日本では“戦国時代最強の武将は前田慶次”というのがコンセンサスのようになり、ゲームやアニメでは驚異的な武勇を誇っていることが多いです。しかしこれらの前田慶次像は、漫画家と作家の想像力の賜物であり、実際の前田慶次ではありません。では、前田慶次という武将は、どのような人物だったのでしょうか。

歴史の人物としての前田慶次

残念ながら、正確な資料にほとんど情報が載っていないようです。数少ない資料の確かな情報に基づいて記すと、前田慶次という武将の生涯は大変簡潔なものとなります。

名は前田慶次郎利益。織田信長の重臣・滝川一益の甥として生まれ、前田利久の養子となる。前田利家が前田家を継いでからはこれに従い、幾度かの合戦に従軍する。豊臣秀吉の小田原城攻めにも参加。天正18年に前田家を出奔。以降は上杉家に仕え、関ヶ原の戦いの地方戦ともいえる長谷堂城の戦いに参戦。

漫画などで魅せる前田慶次の武勇は存在しない。確認された戦歴も数回ほどで特筆されるような活躍もない。

実は前田慶次の人物像は、彼の死後に江戸時代の軍記物や、説話集で語られ、膨らまされたものです。膨らまされた、創造された逸話を元に、現代の作家たちが前田慶次像を創っていきました。

逸話と、それが記された書物とはどのようなものだったのでしょうか。検証しましょう。

 

重輯雑談

秀吉が認めた傾奇者

『重輯雑談(じゅうしゅうぞうだん)』には、慶次が前田利家のもとにいた頃、彼の傾奇ぶりに秀吉が興味を示し、聚楽第に呼びつけたときの逸話があります。秀吉は慶次に『趣向をこらして来い』と注文をつけます。いざ謁見というとき、慶次は派手な虎の皮を身に着け、髷を横に結って現れます。そして秀吉の前に歩み寄ると、顔を横に向けて挨拶。これで横に結った髷だけが正面を向く。

『これは面白い』と秀吉は喜び、褒美に馬を与えます。

『もっともっと、変わったことができるはずだ』と秀吉が望むと、慶次は一度奥に引き込み、今度は礼法を忠実に守った姿で現れれ褒美の礼を述べた。これに秀吉は感じ入り、『今後は好きなように傾くがよい』と許可を出した。これより後、慶次は“天下御免の傾奇者”と呼ばれるようになった。と記されています。

この『重輯雑談』は1653年生まれの加賀藩(前田家)家老が記したエピソード集です。加賀藩の4代藩主・綱紀は熱心に書物を収集したことで知られ、この時期に加賀に流入した軍記物が『重輯雑談』にも影響を与えていたと考えられます。

 

武辺咄聞書

他にも慶次の逸話がふんだんに盛り込まれている軍記物に『武辺咄聞書(ぶへんばなしききがき)』があります。

国枝清軒という越後流軍学者が編集したものとされていますが、この人物の経歴は判然としていません。

これは“咄”を集めたものであり、諸国の浪人が集まり、家々の伝説を語り合ったものを筆記したものだそうです。今でいう『トークショー』のようなものであり、話を膨らませて面白い“ネタ”を話すことを生業とする者たちのトークショーを書き起こしたものですがら、真実と虚構が街っていることは容易に想像できます。

慶次の武功のほとんどは、こういった類の書物に記されているものばかりで、誇張も多いです。

『武辺咄聞書』には次のようなエピソードも書かれています。

 

大ふへん者伝説

叔父である前田利家は、慶次が秀吉の前で披露したような振る舞いを快く思っていませんでした。これに反発した慶次は、友人である直江兼続のもとに身を寄せます。関ヶ原の戦いでは、上杉軍が西軍についたことで、慶次も徳川方の伊達政宗の襲来に備えました。緊張感が高まる中、白く四角い布に“大ふへん者”と大書きされた慶次の旗が『上杉家には武勇で知られたものが数多い。なのになぜ彼だけが“大武辺者”などと大きく主張するのだ。滑稽ではないか』と問題になります。緒将たちもこれに同意します。しかし慶次はからからと笑い飛ばすと、『これは武辺者ではなく、“不便者”と読む。長年の浪人暮らしで手元に金がない。だから特に目立つように書いたのだ。ひらがなの点は必要なところを補って読む。それが武士の教養だ。間違った読み方をして避難されても知るものか』と言いはなちます。

また、慶次が朱色の槍を携えていたことも問題となり、水野藤兵衛ら、剛勇で鳴らす武将4人が上杉景勝に訴え出ました。すると景勝は『慶次はもともと前田家の人間。新参者に家風を押しつけるのはよくない。その方らの気が収まらないのなら、全員朱色の槍を持つがよかろう』と言います。

そして長谷堂城の戦いでは、その4人と共に『朱槍5人衆』として大活躍。直江兼続の撤退を助け、最上軍を散々に蹴散らしてみせた。これは漫画『花の慶次』や、小説『一夢庵風流記』でも随一の名場面として有名です。

しかし、この時の慶次の年齢は70歳。『人間50年』の時代に一人の老人が朱槍を持って活躍できるでしょうか。不可能だと思います。先ほど記した秀吉の逸話と同じく、真実として捉えることは難しいです。

その他の逸話としては

 

水風呂事件

前田慶次は他人を小馬鹿にする癖があった為、日ごろから叔父の前田利家に度々注意されていた。そんな利家に反発して、仕返ししてやろうと企み、ある日このように言います。『これからは心を入れ替え真面目に生きます』と謝罪すると、自宅に招いて風呂を沸かした。寒い日だったので利家は喜んで風呂に入ったが、湯船の中は氷のような冷水であったそうです。怒った利家でしたが、慶次は既に逃走。『慶次を連れ戻せ』と部下に命じたが、利家の愛馬・松風を奪って、そのまま他国へと出奔してしまった。

 

泥大根

豊臣秀吉が諸大名を招き宴会を開いた際、慶次も参加していた。

慶次は悪ふざけをして”猿”の真似事をして踊りだすと、座する大名たちの膝に次々と腰掛けて周った。しかし、上杉景勝にだけはしなかった。後に慶次は『上杉景勝の威風凛然とした振る舞いに、どうしてもその膝に乗ることができなかった』と語り『天下広しといえど、真に我が主と頼むは会津の上杉景勝様をおいて他にあるまい』と高く評した。

のち慶次は上杉景勝に仕えるのだが、その際に『泥付きの大根』を持参し、『この大根のように見かけはむさ苦しいが、噛みば噛むほど滋味の出る拙者でござる』と語ったとされています。

 

一武将が、大名の膝の上に座るなど、あの時代には切腹ものの行為だと思います。慶次の武功を記した書物では、本当の前田慶次を知ることは難しいです。

 

前田慶次道中日記

関ヶ原の戦いで降伏を余儀なくされた上杉家は、会津から米沢へ転封されてしまいます。慶次は友人である直江兼続に請われ、上杉家の人間として生涯を終えることを決意し、伏見から米沢へ旅立ちます。この道中に書かれたのが『前田慶次道中日記』です。

これは慶次の直筆であり、彼の人物像を窺うことのできる、最も信頼できる文献といえます。ここには剛勇を誇る傾奇者の顔は影を潜め、静かな教養人としての姿があります。出立してすぐ、古今和歌集におさめられた、

 

風の上にありか定めぬちりの身は行衛も知らずなりぬべらなり

(風任せで、身の在り処も定められない塵のような儚いこの身の上は、どこへ行ったらよいかも分からず、このまま行方知れずになってしまうようだ)

 

という1句を書き付けていて、この歌は京から東国へ下る貴人が書いたとされ、慶次もその身の上を自分に重ね合わせています。

 

前田慶次と言う文化人

『前田慶次道中日記』で和歌や句を詠んだ慶次ですが、他にも彼の文芸活動の行跡があります。1588年から数年にかけて、里村紹巴、昌叱など、当代一流の連歌師の興行に参加して歌を詠んだり、自分自身でも興行したことが『上杉将士書上』などの書物によって明らかになっています。慶次の興行に細川幽斉が参加したとする資料もあります。

関ヶ原の戦いの後、米沢に移ってからも慶次は詩歌などの作品を残しています。1602年、直江兼続が大聖寺に和歌・漢詩合わせて百首を奉納する際には、伏見から旅してきた慶次も加わっています。米沢移住後は堂林という地に住み、静かに生涯を終えたとされています。墓は見つかっていません。

『前田慶次道中日記』には、慶次が和漢の古典に深く精通する、紛れもない教養人であったことを証明する箇所が多く見られます。

『前田慶次道中日記』の中に、野尻を通りかかった慶次が詠んだこんな句があります。

 

さむさには下痢おこす野尻かな

 

尻と下痢を連想させる下品な句ですが、茶目っけのある句でもあります。

現代に広まっている前田慶次の天下御免の傾奇者・大ふへん者というイメージは、江戸時代に膨らまされた逸話である可能性が高いのですが、あけすけで明るい慶次の人柄だけは、膨らまされることなく真実が伝わっているようですね。武人ではなく、詩人だった前田慶次。真実に触れることが出来た貴重な時間でした。

 

大ふへん者 前田慶次 天下御免の傾奇者の正体でした。



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