徳川家康 家来に銭5貫文(10万円)で売り飛ばされ、生涯痛墳する。

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家康は祖先の徳阿弥が松平姓を名乗ってから、9代目の当主にあたります。

松平家といえば、征夷大将軍の徳川家康の前姓といえば聞こえはいいのですが、矢作川下流に数十人の武闘派を送りだし、住民から作物を奪い取ったり、力で服従させ家来にするといった山賊まがいのことも行っていたようです。現代でいうマフィアのような家風からか、家の騒動も多く、家康の祖父である松平清康は老臣 安倍大蔵の子 弥七郎に殺され(守山崩れ)、父である広忠は側近の岩松八弥に殺されています。どちらも家来。

そして祖父松平清康を刺殺した刀が『村正』だったようで、江戸時代を通じて不吉な刀として嫌われたようです。現代で『妖刀・村正』といわれる走りがここにあるようです。

父、祖父の殺された家康の幼少期は惨めそのものでした。

彼が産まれた頃の松平家は、戦国大名を名乗れるような規模ではなく、隣国の今川家・織田家に翻弄されました。

信長の父・信秀率いる織田家の攻撃を受けた家康の父・広忠は家康を人質に差し出す代わりに今川家に援軍を要請します。これが家康の長い人質生活の始まりでした。

ところが、護送中に織田家に拉致されてしまい、一転して織田家に身柄をおかれることになります。

このときに信長の知遇を得るわけだが、信長の兄・信広が今川家の捕虜となると、人質交換として再び今川家に送られます。『三河物語』によれば、松平家はこのとき、今川義元に三河からの収入をすべて横取りされていて、戦闘では最前線に置かれるなど過酷な扱いを受けていたようです。歴史学者の桑田忠親は、この頃の松平家を『体のいい弾よけ』といっています。

『三河物語』で知られる松平家の苦労と、それに伴う家臣団の忠義・団結は、小説等でも哀切を込めて書かれることが多く、後の飛躍と併せて日本人には馴染みが深いです。ですが、そもそも織田家に拉致されたというのは言い訳で、実は『家臣に売られた』とする説が有力です。

『駿府記』では、家康本人による話として、『ワシが子供の頃、部下に右衛門某という者がいて、ワシを銭500貫で売り飛ばしおった。えらい苦労した』と語っていたようです。

ちなみに『駿府政事録』によれば、金額が5貫にまで値下げされており、今の金額にすればたった10万円。安いですね。祖先・徳阿弥の素性、二代続いた主君殺しの事件、家康の売り飛ばされた値段から見るに、この頃の松平家はお世辞にも『忠義の家臣団』とは言えないマフィアめいた性質をもった団体だったようです。

 

ネットではよく『身代金は○億だった』という個人の記事を目にすることが多いのですが、銭計算ではなく、銀計算をしている誤った記事なので信用しないようにしましょう。家康の売り飛ばされた値段の単価は『銭』です。『銀』ではありません。この頃の家康に億の価値はありません。

ともあれ、この頃の苦労が、後の家康の代名詞ともいえる『忍耐』を形成させたことは確実だと思います。

徳川家康 家来に銭5貫文(10万円)で売り飛ばされる。でした。





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