豊臣秀吉 女好きなスケベな猿。宮殿を遊郭に変えてしまう。

投稿日:

天下人 豊臣秀吉。

秀吉は40歳を過ぎると、猛烈な女狩りを始めたそうです。

京都や堺で美しい娘や未亡人がいると聞けば、部下に連れてこさせたそうです。気に入ればそのまま愛人にし、気に入らなくても2日は手元に置いていたそうです。当時秀吉には梅毒の疑いがあったそうです。町から連れてこられた女たちは知る由もなし。また、大名の娘を養女にし、12歳になれば自分の愛人にしたそうです。こうして召し上げられた女性はなんと300人にも及ぶそうです。

自らの権力を行使し、欲望を満たしていたようです。まさしくハーレムですね。とっかえひっかえ日替わりで美しい女性を抱く。男なら誰でも一度は憧れるシチュエーションです。

農民出身の秀吉には、当時、戦国武将の間では当たり前のようにあった『男色』には興味を示さず、部下に美しい少年をあてがわれた時も、少年には興味を示さず、『おぬしに姉妹はいるか?』と話しかけたといいます。

ルイス・ロイストは『その淫らな行為は、宮殿を遊郭にしてしまったほどだ』と記していたそうです。

多くの側室を抱えた秀吉ですが、それだけでは満足せず、多くの諸大名を虜にした、日本医学の祖ともいわれる曲直瀬道三の書である性の指南書『黄素妙論』に傾倒していきます。これは現代でいう“セックス・マニュアル”です。

一例を挙げると、『男は女の反応に慌てて荒々しく出し入れをしてはいけません。男子たるもの精の液を常に保つのが大切で、みだりに頻繁に放出すべきではありません。女に情欲を覚えさせ、自ら欲するところまで導きます。玉門(女性器)に強く出し入れをしますと、すぐ濡れます。目的を達するためには戦術を大事にしなければなりません』『おのれの欲望だけを勝手に処理する性交は、女が満足しません。反応も上滑りに終わり、体にも悪い。これを例えれば、戦いで敵に少しの損害も与えずに、虚しく犬死するのと同じです』

この『黄素妙論』は養生や健康が主眼になっているものの、俗にいう3Pの作法も記載されているようで、当然秀吉が一度に相手するのは一人だけではなく、同時に何人も交わっていたのは容易に想像できます。『黄素妙論』で学んだ秀吉の、夜の華が咲き乱れたことは間違いなさそうですね。

しかし、当然そのような女漁りに、秀吉の側室の淀殿と正室の高台院との関係はギクシャクしました。

 

また、キリスト教を認めていた秀吉が、1587年に突如キリスト教禁止令を出しました。

この理由も、諸説色々あります。その中で面白い説が、美少女狩りの挫折という説です。

秀吉がいつものように美少女を召し抱えようと有馬領内の娘たちを狙いをつけていたのですが、キリストに貞節を誓っている彼女たちは秀吉から逃げてしまいます。これがショックで、キリスト教を禁止したという説があります。天下人秀吉、女好きが理由で一国の法律を変える。上記の話を聞いた後だと、まんざら嘘でもないような気がしてきますね。

豊臣秀吉 女好きなスケベな猿。宮殿を遊郭に変えてしまう。でした。



-歴史
-,

Copyright© そこに山と金があるから , 2018 All Rights Reserved Powered by AFFINGER4.