豊臣秀吉 鮮やかに脚色された逸話の数々。真実はいったいどの逸話?

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盛られた、脚色されたのは先の肖像画だけではありません。

秀吉の逸話は数多く存在しますが、その多くが偽りである可能性が高いようです。

墨俣の一夜城

1566年、信長による美濃侵攻にあたり、秀吉が機転を利かせて墨俣に一夜にして城を築いたという、ドラマや漫画でも見せ場として有名なエピソードですが、詳細に記載されている資料は『前野家古文書』のみで、それも偽物であるとの疑いが濃厚なようです。

 

織田信長の草履

秀吉が織田信長に仕えて間もない頃、信長が草履を履いたときに冷えた草履では足が冷たいからと、草履を着物の中に入れて暖めた。そして秀吉は信長に気に入られた。というエピソードがあります。これは秀吉の逸話で1番有名な話だと思いますが、これも江戸時代に創られた架空の逸話のようです。これは結構ショックな話です…。

 

三杯の茶

秀吉が信長の部下だったころ、近江長浜城を治めていた時のこと。鷹狩りに出かけた秀吉は、喉が渇いたので近くの寺に立ち寄った。そこで茶を所望すると、寺の小僧がまずは大きな茶碗にぬるめに7、8分程度の茶を入れた。秀吉は一気に飲み干しもう一杯所望。今度は少し熱めの茶を茶碗に半分ほど入れて出した。飲み干した秀吉が3杯目を所望すると、次は小さな茶碗に熱い茶を入れて差しだした。

効率よく喉の渇きを癒そうとする小僧の機知に感じ入った秀吉は、小僧を連れて帰り小姓として召し抱えた。

この小僧がのちの石田三成である。という話。

実はこの話も後世の創作。三成の息子が書き残した資料によると、三成が秀吉に仕えたのは18歳の頃で、場所は姫路。

 

現代でもそうだが、誰かがネットで『~かもしれない』と書き込むと、違う誰かが『~らしい』に書き換え、そして『~だ』に変化していく。数日でこの変化が生まれる。

数百年を経てしまうと、歴史は180度違う話になっていることも多々あります。

大昔に誰かが精巧な創作話を作っても、時が経てば、後世ではそれが『正史』として扱われてしまう。

歴史を紐解いていく、歴史を知っていくという行為は、大抵は残念な歴史の真実を知っていく行為でもあります。知れば知るほどがっかりしてしまう歴史の真実。もちろん知って驚く歴史の真実もあります。

しかし歴史は知らなければよかったという言葉がぴったり当てはまります。

豊臣秀吉 鮮やかに脚色された逸話の数々。真実はいったいどの逸話?でした。





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