豊臣秀吉 謎に包まれた出生。貧しい農民出身は本当なのか。

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『鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす』

この一句が物語るように、落ちない城、振り向かない人材や女、そして天下を、欲しいものは知恵の限りを尽くして手に入れて農民から天下人まで這いあがった豊臣秀吉。

そんな秀吉の最大の謎とされるのが『出生』について。

秀吉の出生については諸説ありますが、一般的に『貧しい百姓出身』とされる秀吉ですが、彼の伝記『太閤記』によれば、1536年に尾張の中村で生まれた百姓の木下弥右衛門となか(のちの大政所)の息子で、若い頃は山で薪を売って生計をたてていたとされています。

一方『武功夜話』では、裕福な村長の息子であり、与介という名で泥鰌を捕まえて売っていたとする説もあります。

百姓の息子という点で、多くの説は共通しています。

面白い説も多数あり、

中国人説

秀吉が朝鮮を攻めた時の敵国の柳成龍が言った『あいつは中国人』説というのがあります。
柳成龍が『秀吉はもともと中国の人間で、薪を売って暮らしていた』と述べていたようです。

 

サンカ説

サンカとは、裏社会の情報を仕切った遊牧民であり、秀吉が農民だったにも関わらず、城の建造に詳しかったり、兵法にも精通していたことから生まれた説です。

 

公家出身説

秀吉自身が関白に就任した時に『公家である萩中納言の血が流れている』と主張した説ですが、そもそも萩中納言という人物は存在しません。

 

諸説ありますが、ここまで秀吉の出生がはっきりしない最大の理由は、秀吉自身が身分の劣等感によって出生について確かなことを話さなかったと推測されます。そして農民出身には間違いがなく、当時の農村には特別なことがない限り、記録を残すという習慣がなかったために記録が一切残っていないとされています。

ということは、秀吉が自分の出生について語らない限りは、真実はわからないということになります。あまり語りなくない自分の出生について。それはまさしく農民だったということなのでしょうか。

そんな秀吉が最初に仕えた人物は、今川義元の家臣である松下之綱でした。秀吉はそこで農民出身であることで酷いイジメを受け傷心し、一度村に帰っています。身分の関係ない下剋上の戦国時代でしたが、現実はそう甘くはなかったようです。

その後秀吉は、足利義昭の養子になろうとしたり、平氏を名乗るなど策を講じました。

下剋上の戦国時代を制した天下人、豊臣秀吉。そんな秀吉の出生がはっきりしないというのは興味深い歴史の謎でもあります。

豊臣秀吉 謎に包まれた出生。貧しい農民出身は本当なのか。でした。





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