だんじり祭り。その華やかな主役たちを陰で支える裏方として交通整理。

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25歳の時、会社の先輩に誘われてだんじり祭りに参加した。

私の住んでいる町にはだんじりが無かった。だからだんじりに興味は無かったし、交通規制がかかるだんじり祭りは嫌いだった。

 

だから誘われた時、万年金欠の先輩に

『祭りの衣装を一式用意してくれるなら参加する』と条件を出した。

諦めてくれるだろうと。

 

 

先輩は祭りの衣装を一式用意してくれた。中古ではなく新品で。金無いくせに。

今考えたら、祭りの衣装は結構高い。『めちゃ金使わせたな…』と反省してます笑

先輩ありがとう。

 

 

私が参加しただんじり祭りは『やりまわし』という、だんじりをスピードが出た状態で交差点を曲がる行為をメインとする祭り。岸和田だんじり祭りと同じ種類の祭り。

 

正直初めて参加した時はめちゃくちゃしんどかった。楽しかった記憶はない。訳の分からない状態でやりまわしに参加させられて、やりまわし失敗して追突防止の土嚢に突っ込みまくる。正直意味が分からなかった。何が楽しくてこんなことしてるのかと。

 

 

でも、多くの仲間と出会った。いきなり参加した私にも、みんな大歓迎してくれて、優しく、暖かく接してくれて、仲間として迎えてくれた。この仲間たちとまた一緒に汗をかきたいと思った。

 

 

産まれた町にだんじりがあった。父親、母親が参加していた。先輩に誘われた。友達に誘われた。人それぞれ、祭りに参加・ハマった理由は異なる。私は『仲間との出会い』そこから私の祭り人生が始まった。

 

私はだんじりを曳く『青年団』には参加せず、後ろでだんじりの舵を取る『後梃子』に参加していた。

そして、後梃子の花形である『華』と呼ばれる場所を10年やった。正確に言えば10年間私を超える人物、後継者が現れなかったので10年やらされた笑。

 

田舎の町のだんじり祭りだったので、参加する人数が少なかった。毎年人手不足に悩まされていた。だから世代交代はなかなか訪れなかった。

 

 

しかし、やっとこさ世代交代をすることができ、私は第一線を退き、警備に回ることになった。

 

正直裏方はやりたくなかった。

でも、自分を可愛がってくれた先輩たちも第一線を退き、裏方に回って、だんじりを安全に曳行するために交通整理、人員整理をしていた。

 

交通整理をしないと、車や人が邪魔になり、だんじりはまともに走ることは出来ない。やりまわしなんて以ての外。

 

私たちが気持ちよくやりまわしが出来るのは、見えないところで苦労して努力してくれた先輩たちのお陰。その先輩たちに対して恩返しをするという気持ちで、嫌だけど警備に参加した。

 

 

今年で警備2年目。気持ち的には『嫌』から『普通』に変わった。

そして警備の団体でも楽しい仲間たちと出会った。

この仲間たちとまた警備をしたいと思った。

 

 

 

祭りは『試験曳き』『宵宮』『本宮』の3日間。

朝から晩まで交通整理をして、苦情を言われるのも、やからを言われるのも慣れた。

誘導灯の代わりに団扇を回す。

何回団扇を回しただろう。

腕が痛い笑

 

 

裏方はホントに大変。あれはやらなきゃ解らない。

 

祭りで第一線を退き、交通整理をしている方々、

お疲れ様でした!

また来年も可愛い後輩たちの為に、苦情とやからに耐えましょう笑

そしてだんじりがスムーズに曳行出来るように力を合わせて頑張りましょう!

 

祭り、お疲れ様でした。



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